人里はなれた谷あい
とりたてて有名なにかがあるのでもなく、ただの人里はなれた風景ですが、
気に入っている場所というものがあります。
駒ヶ根中沢地区の下曽倉の谷あいは、そんなお気に入りの場所。
中沢の中央には分杭峠へいたる主道路が走っていて、この道路からの景観も
すばらしいです。しかし気に入っているのは、この道路と並行して走る沢の反対側の
狭い田舎道です。
次の水彩画の通り、この付近には何にもありません。ところどころに民家の屋根が見えているだけで人通りも少なく、絵を描いていても人の往来を気にする必要はありません。
何もないよさというのでしょうか、ただの風景というのでしょうか。
磁場のようなものがここには貫通していて、風景を描いたらどう?と言われている気がします。
地図での位置は正確ではなくて、だいたいこのあたりということで、ご理解ください。
腰を据えて描いた場所には、目印がありません。
鉛筆1本で描く駒ヶ根
鉛筆という画材は、濃淡表現に向いていて、これほど繊細に明暗を
区別して表せる画材はないように思う。
ふつう絵の具を使う場合では、それぞれの濃さの絵の具をパレット等で
ひとつひとつ調合しなければならないけれど、鉛筆ならばたった一本で
筆圧や繰り返しを変化させることで、その濃淡が表現できてしまう。
だから野外で描く場合、道具立てがとてもスッキリと少ない。
スケッチブックを片手に、立ったままで描いてしまうことも可能だ。
若い頃、東北の陸中海岸の海岸沿いにヒッチハイク旅行をしたことが
あった。リュックにはスケッチブックと鉛筆だけしのばせた。
その巡った港や海岸に近い町は、2011年3月11日の大震災により
津波被害を蒙り、描いたほとんどの町は流されてしまったようである。
石に座ってスケッチをしていると子どもたちが寄ってきて、覗き込んでいた。
無事ならばいまころは、50代の年配になっているのだろう。
画像は、駒ヶ根の中沢の原地区のいちばん高台の場所から、
駒ヶ根市を振り返ったアングルになる。
この鉛筆画の左にある小屋の趣を、より接近して描いてみたのが
下の鉛筆画。
誰も訪れないけれど、素敵な風景が駒ヶ根にはたくさんある。
まだ目覚めていない名所なのだと思う。
天竜川の近く、下平にて
伊那谷の真ん中を天竜川が流れている。駒ヶ根ではその天竜川の流域は下平と呼ばれている。伊那谷地域は標高は高くて寒冷地といわれているが、その中で下平は最も温暖なエリアだ。地形も平ら、稲作の田んぼが広がり米どころとなっている。
遠くまで見渡せる広い風景が好きだが、この下平はその条件にかなっている。この地域に立って何まい水彩画を描いたことだろう。
画像の風景は、下平に立って南を眺望した景色だ。遠く霞んでいるのは、陣馬形山という低山で、この山に雲がかかっているとやがて駒ヶ根に雨がやってくると言われている。手前の尾根は、中沢の丘陵で緑の美しい地域。左へ分け入っていくと分杭峠に方面に至る。
この絵をいつ頃描いたのか詳細は失念したが、稲刈りが済んで田んぼが放置されたような景観だったかもしれない。
ついに住み家を・・・
仕事の都合でたまたまやってきた駒ヶ根だったが、緑豊かな風景に魅せられてしまい、
知り合った友人とともに、あちこちの駒ヶ根の風光を求めて、野外のスケッチをした時期があった。もう20年以上昔のことだ。
描いた作品を個展という形で何度か発表するうちに、駒ヶ根にいずれ住みたいなと思うようになった。
仕事の都合の方は数年で終了して、東京へ帰る時期になっても、けっきょく家族は駒ヶ根住まいを続けるということになった。子どもたちの学校の関係もあった。ひとり東京の本社に戻る生活に変わった。
終の棲家として風景のよい場所をさがし、自宅を建てた。東京で仕事をしながら、週末には駒ヶ根で過ごすという生活が始まった。
下の水彩画は、自宅の前の風景を描いたもの。
下の写真は、ほぼ同じ場所を撮影した画像。ちょっとアングルは異なる。